無謬の裏側
ネットの記事で「無謬」という言葉が気になった。完璧な理論や判断を表す意味らしい。
例えば、こんな感じで用いられる。
官僚は、何か間違った判断などをした時に、立場上、そう簡単に間違いを認めるわけにはいかない。一緒懸命に取り繕い、正当性を主張する。これを「官僚の無謬性」というらしい。
官僚や政治家、責任ある立場にある人が無謬性を重視するのは、仕方がないのだろう。
ただ、間違いを認めないと、物事が発展的な方向に向かわなかったり、無駄な争いが起こる元となる。
自分に置き換えて考えてみる。これまでに間違いを認めずに自身の成長はあり得たのか、素直に非を認めずに不本意な争いを招いたことはなかったかー。
無謬であることはすごいが、間違いを素直に認める姿勢も、またすごい。無謬という言葉を知るとともに、その裏側にある意味を感じ取り、その重要さを感じずにはいられない。
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