大栗川通信

元記者でマーケターになった中年男「サパロメ」が、本や映画(アニメ、テレビ)や家電のレビュー、育児やブログ運営、ダイエットなどについて雑記をつづります

アニメでわかる、メディアの生存戦略

なんと社内研修でメディア論を講演することに!!

「内容はまかせる」ということだったので、

思い切ってこんなテーマで講演してみました。


【講演テーマ】

アニメでわかる、メディアの生存戦略


社内関係者のほぼ全員がドン引きしていましたが、

かなり真面目に原稿などもつくって講演したので、

もったいないからブログにアップします☆


それではものすごwwwく暇な方、

以下をどうぞ☆


講演原稿ここから---------------------------------------


■イントロダクション



54wrthgwsrgrwetwrtwrtwrt


生存戦略www☆
きっと何者にもなれないお前たちに告げる、ピングドラムを探すのだ☆


人気のアニメ「輪るピングドラム」が今、日本中の大きなお友達の間で注目されています。「輪るピングドラム」は、一度は死んだはずの少女が、謎のペンギン帽子を被ったことによって蘇るというところから始まります。なぜ、少女は帽子をかぶると蘇り、しかも全く別の人格となって、ピングドラムなるものを追い求めるのか、そして、生存戦略とは何なのか――。多数の謎を抱えたまま、斬新な舞台設定と演出を通じて、徐々に物語は核心に迫っていきます。


アニメは素晴らしいです。特に日本のアニメは、世界中で評価される一大コンテンツにまで成長しました。一方、アニメはただそれだけで素晴らしいにとどまらず、昨今のメディア業界の再編問題と大きく関係していることが、最新の調査で明らかになってきました(NHKスペシャル風に)。


ニュースや娯楽などの情報を新聞やテレビ、インターネットを通じて提供するメディア業界は、大きな転換期を迎えています。新聞は売れない、テレビを見ない人は急増し、広告もそう簡単には取れない。明らかに、メディア業界は今あるシステムの維持が困難になりつつあり、近い将来、再編を余儀なくされるでしょう。


そこで今日は、みんなが大好きなここ最近のアニメの歴史を振り返りながら、メディア業界の再編問題の本質とは何かということを、考えていきたいと思います。


■メディアパラダイムシフト(環境の変化による人の変化)


おそらく、幅広い年代のアニメ好きの間でいまだに人気のビックタイトルであり続けるのが、ガンダムだと思います。1979年に放送されて、30年以上経った今でも愛されるガンダムの魅力の原点は何なのかを、まずは検証してみましょう。



542354ywretyetyetyetrywertywe


ガンダムの物語を一言で言えば、「ロボットが活躍する宇宙戦争」です。ではこの宇宙戦争がどういうものだったのかというと、一部の人類が宇宙へ移民し始め、地球を拠点とし続ける同じ人類に対して、独立を求めて挑んだ独立戦争です。この独立戦争では、高度な技術でロケットなどを用いた遠隔での戦闘行為が難しくなったという設定で、移民と地球の軍人がロボットを活用した接近戦を余儀なくされます。そこでこのロボットのパイロットたちを中心に、さまざまな物語が編まれていくというのが、ガンダムの概要になります。


ガンダムでは本当にたくさんの物語が編まれているのですが、その中でも最も重要なメッセージとして物語の中心に流れているのは、「人の進化」です。これをガンダム用語を用いると、「ニュータイプ」という言葉になります。ニュータイプとは、ちょっとしたエスパーのようなもので、物理的に接近しているものを第六感のようなもので察知したり、人の感情を読み取ったりするような能力です。宇宙へ移住して環境が激変したことで、一つひとつの行動が変わり、生活スタイルもかわり、さらには考え方、生き方さえもかわっていって、やがてその子孫たちは、一世代前の人たちにはなかった感覚や能力を手に入れ始めていったのです。


移民の中の指導者は、ニュータイプと名付けた人類の進化を、「お互いに判りあい、理解しあい、戦争や争いから開放される新しい人類の姿」と定義しました。



w45w45ywrtgwrtwrtw


ここで今のメディアの現状を振り返ってみてください。インターネットの登場で、メディアは間違いなく大きく変わりました。しかし、それは物理的なメディアの流通方法だとか、それに伴うメディアの視聴行為のあり方がかわったというだけにとどまらず、むしろこうした技術革新や環境変化によって、人の考え方や生き方が根本から変化し始めており、それは若い世代になればなるほど顕著であるというところに着目すべきだと考えます。


■価値観の多様性(既存の価値観の崩壊)


では、ネットの登場でニュータイプたちは、どのように考え方や生き方の根本を変えたり、見直そうとしているのでしょうか。それを知るために、ネット黎明期に流行したガンダムに匹敵する人気を博した、「新世紀エヴァンゲリオン」を検証していきましょう。



54wr4wrwrtwrywywrwr


エヴァは、父に捨てられたと思い込んでいる少年が、突然、父の元に呼ばれるところから物語が始まります。父に呼ばれた少年は、突然ロボットに乗れと命令され戸惑いますが、父に認められたいがため、この無茶振りを受け入れます。こうしてロボットに乗ってさまざまな敵と戦う中で、他人の目ばかり気にしていた少年が、徐々に自分が本当に求める生き方に近づいていくという物語です。


先のガンダムと比べると、物語が中途半端に終わってしまい、「結局何だったの?」という思いがファンの間にいまだにあることは、この作品の賛否を分ける要因になっています。しかし、この物語は間違いなく後世に残る名作でしょう。商業的成功はもちろんですが、何よりもそう断言できる最も重要な点は、この作品全体に漂っている「2つの分からない」が、当時の視聴者の声を代弁していたというところにあります。2つの分からないとは何か。それは、「自分が必要な人間か分からない」と「自分が何と戦っているのか分からない」ということです。


主人公の少年は、仕事で忙しい父に捨てられ、ずっと自分は「いらない人間なんだ」と思ってきました。少年は父に認められたいがためにロボットのパイロットになりますが、敵は正体不明の「使徒」と呼ばれる巨大生物で、ガンダムのように敵が同じ人間だったり、話の通じる存在ではありません。敵の意図や正体が分からないまま、ただただ、戦わされ続けます。自分の意思や目的意識は一切関係なく、言われるがままに、何が正しくて、何をしたいのかということを抜きにして、理不尽にも地球の命運を突如、背負わされるのです。



5hhwe7u436yqwretwretew


ここでネット黎明期の当時を振り返ると、常識や全体最適を最大の美徳とする社会システムは整備されていて、情報流通もまだまだ巨大マスメディアによって制御されていました。しかし、エヴァの物語の謎がネットを中心に語られるようになったりするなど、情報流通の仕組みの変化が芽生え始め、一方で経済成長の停滞と生活不安の顕在化が進み、今の社会システムと情報流通の危うさに、多くの人たちが気付き始めました。社会の在り方を信用できないという人たちで溢れる中、「本当に自分は必要な人間なのか」、「何と戦って自分は生きているのだろうか」という感覚とエヴァの世界観は相通じるものがあったのではないでしょうか。


■新しい価値観(自分の気持ちが最優先の時代)


それが、近年は意識が変わってきました。その分かりやすいアニメの代表作品が、「ワンピース」です。

主人公が両親との生活という最初の社会システムで不幸にも問題を抱えてしまったエヴァと比べ、ワンピースの主人公は社会システムや科学が人類を幸福へ導いてくれるという価値観を「うるせー!」と言って一蹴し、シカトしてしまうような人物です。



65uhetrgw34234etyety


ワンピースは、主人公の少年が海賊王になることを目指し、さまざまな仲間を引き入れながらその目的に向かっていくという物語です。また、カラッとした作風の一方で、泣けるアニメとしても知られることも人気の秘訣です。


主人公には、メインストリームの陸上の出来事になど興味はありません。自分が尊敬する人物が次々と名をはせる海に対して、自分の感覚で興味を持ち、そこに最大の信頼を寄せて旅を続けます。そんな自分勝手の主人公なのに、なぜか仲間は集まってきます。そこには仲間を思いやるとか何とかといううそ臭い感情の前に、「自分が仲間を必要である」という思いが前面に出ている点が、うそ臭くなく、真に迫っているという点があります。実際、主人公の名言のひとつに「おれは剣術を使えねェんだコノヤロー!航海術も持ってねぇし!料理も作れねェし!ウソもつけねェ!おれは助けてもらわねェと、生きていけねェ自信がある!」というセリフがあります。


巨大なシステムの前に立ちすくむエヴァとシステムをものともしないワンピースから読み解けるのは、メディアに対する姿勢の変化であるといえます。


これまで、メディアからの情報には受動的でした。テレビがたくさん報道すればそれが重要なことで、新聞が大きく扱えば、それが着目すべき事象であるかのように思ってきました。しかし、今のネット利用者は自分が好きな人のツイッターをフォローし、気になる人のブログやSNSの記事を直接吟味して読むか読まないかを決めています。そして自分とつながりのある人がどんな記事に注目しているのか、たまたま知った情報通が情報源としているのはどのメディアか、などということを重視して情報収集しています。メディアの重み付けした記事を重視しない人が増加する傾向は、今後も収まりそうにありません。


このことは巨大メディアの報道がすべてと信じていた人の意識が、自分を中心に何が重要な情報かを選ぶ時代の到来の象徴であるといえるのではないでしょうか。


■日常こそ最愛(当たり前の等身大の幸福論)


こうして自分を中心にすえ始めた人たちの間で求められているものは何か。それは、京都アニメーションというアニメ制作会社の動向を検証することで見えてきます。


京都アニメーションとは2006年に放映した「涼宮ハルヒの憂鬱」をきっかけに大ブレイクしたアニメーション制作会社です。その後、「らき☆すた」、「けいおん!」などヒット作品を連発して、一躍、一流アニメ制作会社にのし上がった会社です。制作技術が高いなどブレイクの要因はたくさんあると思うのですが、その最大の推進力は、「素晴らしき日常」をテーマにしてきたことだと思います。



32234qwrewrty658435673we5


ブレイクのきっかけになった「涼宮ハルヒの憂鬱」ですが、主人公は非日常を追求する女子高生です。主人公が入学してすぐの自己紹介で「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上。」と呼びかけると、本当に宇宙人とかが集まってしまいます。そんな宇宙人らと普通の学校生活を送る中で、非日常を求める主人公が日常の大切さに気付いていくという話です。


らき☆すた」も「けいおん!」も、淡々と日常の素晴らしさを描いた作品で、最新作のタイトル名に至っては「日常」です。


さらに、ブレイク前後にこだわっていた「カノン」「Air」「クラナド」などの作品はエロゲをアニメ化したものですが(正確にはクラナドはエロゲではない)、そもそもエロゲのほとんどは「普通の学校生活」「普通の恋愛」をテーマにしており、その本質はそれらを体験できなかったけど体験したいという願望をてんこ盛りにしたようなジャンルのゲームです。したがって、京アニは日常を推進力にここまで上り詰めてきたと、考えられるのです。


今、世の中を変えつつあるキーワードは、間違いなくソーシャルメディアです。これは一言で言ってしまうと、メディアの日常化です。これまで、メディアは一部の権力者によるものでした。そして、権力の監視、客観報道、報道の自由という名の下に、言葉や映像を使って権力を行使し続けてきました。言葉や映像は情報伝達の手段であると同時に、影響力を行使する手段でもあって、これを独占することは、ただただ、それだけで権力なのです。


ところが今や、メディアは誰もが所有して、自由に活用できるようになりました。誰もが、影響力を行使することが、どこにでもある日常になったのです。


■当たり前を疑え(固定観念を超えた先の世界)


メディアが日常化した世界で、近年、最も大きな成功を収めたのが、「魔法少女まどか☆マギカ」です。まどマギが成功した本質は何なのでしょうか。



wrwwrw5uy525ywrgwrywrty


まどマギは、一言で言ってしまうと、内気な主人公の女の子が、謎の生命体から魔法少女になることを強く勧められ、自分が魔法少女になるか否かを悩み続けるという物語です。つまり、魔法少女の題名を冠しながら、いつまで経っても主人公が魔法少女にならないという話なのです。


しかし、よくよく考えてみると、無知な子供が突然魔法少女になって、何のリスクも負わず、特別な存在になって活躍しまくるなどという都合のいい話があるはずもありません(そもそも魔法少女という設定自体がありえないという話もありますが、、)。ましてや、何の代償もなく、ヒーローやヒロインになれるわけなどありません。


この「魔法少女」の物語では、魔性少女は常に死と隣りあわせで、そしていつかは必ず「魔女」となって世界に災いをもたらす醜い存在になってしまうという辛い現実の上に、魔法少女という概念が成り立っています。魔法少女になるということは、とても大きな代償を支払うことなのです。



26578658768i4576iuyryhety


メディアが日常化した今の世の中を眺めると、これまでの価値観は破綻し始めていると言わざるを得ません。資本主義、金融市場主義、効率至上主義、大企業信仰――。これまでの「善いもの」や「正義」とされていたものは、そのどれもが存在の正当性を説得するのが難しくなってきています。インターネットの登場で、マスメディアによる情報操作や情報の隠蔽が難しくなり、情報のフラット化が進んだ昨今は特にそうです。


メディアが日常化し、読者が自ら情報の発信者として参加しやすくなった世の中では、無難で、主義主張のないメディアは間違いなく行き詰ります。必要とされるのは、無批判に既存の価値観をベースに無難な何かを述べる力ではなく、常に既存の価値観を疑い、周囲から多くの批判を受けようとも、自己の批判精神を信じぬき、自分が信じる世界でたった一つの固い信念を貫き通す力なのではないでしょうか。


本来、ジャーナリズムとはそうあるべきものだと思います。必要なのは、中立公正な客観報道ではなく、多くの人たちが見過ごしてしまうかもしれない本質的な議論を指摘したり、再発掘したりして、その重要性を訴えかけることではないかと思うんです。客観報道に迫ろうとする努力は必要でしょうが、本質的な問題提起がなければ、それは意味がありません。網羅性とか、全体的なバランスとか、批判に耐えうる論旨とか、そんなものクソ喰らえであります。最重要なことは、より善きものへ近づくことであって、記事を書いた記者や、その記者が属する組織だとか媒体だとか、そういうブランドだとか面子だとか、そんなものは本来、どうでもいいものなのです。


今あるものをそのまま受け入れず、さまざまな見方を掘り下げ続けて、その上で自分の目を信じて、自分の思考を信じて、自分の行動を信じる――。アンバランスな情報流通の仕組みが、インターネットという新たな流通網を加えることによって、ようやく健全な流通網へと変わりつつあります。今ある形あるすべてのものを信じてはいけない。これまで長々と述べてきたわたしの話も信じてはいけないのです。



etyeetyetyu65365436755745


最後に個人的に言えることは、近く最先端のソーシャルメディア革命として「ソーシャル一揆」が世界中の注目を集めるであろうと考えています。この社会も世界も、ロジカルな改革論では限界があります。もう、一揆しかありません。みなさん、次の時代は絶対にソーシャル一揆です。みんなで一揆を起こし、よりよい新世界を目指しましょう!ソーシャル一揆に興味のある方は、後ほどご連絡下さい!


ご清聴ありがとうございました!


講演原稿ここまで----------------------------------------------


一度書いた原稿をコピペするだけだと思っていたら、

何だかんだで1時間以上の作業になってしまいました、、、


今一度読み返してみると改めて何が言いたいんだかよく分かりませんし、

これを会社の研修で講演してしまったことに酷く憂鬱な気分になってきたのでもう寝ます!