大栗川通信

元記者でマーケターになった中年男「サパロメ」が、本や映画(アニメ、テレビ)や家電のレビュー、育児やブログ運営、ダイエットなどについて雑記をつづります

デジタル世代の侍「ウメハラ」の光と影

 「ウメハラ」をご存知だろうか。知られざる世界一の日本人、「梅原大吾」のことだ。17歳で格闘ゲーム世界一の称号を得て、日本初のプロゲーマーとなり、「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」として、ギネスに認定されたほどの逸材である。

 

大半の人たちは、ゲームと聞いただけで興味を失うだろう。しかし、ウメハラのゲームに対する覚悟、そこから導き出された人生哲学は、並大抵のものではない。今の日本で彼ほど自分と向き合い、真剣勝負の世界を極めた人物を探すことは難しいことだろう。まさに、「デジタル時代の侍」だ。

 学校に馴染めなかったウメハラは、幼少の頃からゲームにのめり込んだ。才能もあった。人間対人間の格闘ゲームで彼の才能は一段と際立った。ただ勝つのではなく、「勝ち続けること」にこだわり、生活のほとんどをゲームに費やし、「常に平常心であること」「常に変化すること」などの勝負における極意を身に付けていった。

 「勝って天狗にならず、負けてなお卑屈にならないという絶妙な精神状態を保つこと(中略)自分も人間だし相手も人間であるという事実を忘れないようにすることが、バランスを崩さないことだと考えている」(自著『勝ち続ける意志力』より抜粋)

 「戦術や戦略も常に変化、進化させる必要がある。昨日よりも今日。どんどん新鮮なものを取り入れて、古いものを次々と刷新するべきだ」(同)

 ウメハラが勝ち続けることにこだわったのは、ゲームを軽視する世間を見返したいという思いがあったからだ。そして何より、世間に認められない自分が好きになれなかった。勝ち続けることで、自らの苦悩を開放できると信じて疑わなかった。

 しかし、世間は彼を認めなかった。孤独の日々の中で、自分を痛め続けてきたウメハラは、心身ともにボロボロになった。そんな彼を救ったのが、介護の仕事だった。死が間近に迫り、衰弱し、希望を見い出せない高齢者たち。たわいもないちょっとした親切心が、要介護者たちの心を動かし、心から感謝されることの喜び―。反骨心と真剣勝負がすべてだったウメハラの死生観は、根底から覆された。

 ゲームができるまでに回復したウメハラの下に、突然、プロゲーマー契約の話が舞い込んだ。そのときの心境を、こう語っている。

 「身体が動いて、ゲームをやれば誰にも負けないということが、どれだけすごいことか。そのことをダイレクトに思い知った。人生はいつか終わるのだから後悔はしたくないと思った。日本にはプロのゲーマーはいない。それならば僕が飛び込んで、先駆者になってやろう。そう覚悟を決めた」(同)

 ずっと気にしていた世間の目やゲームへの無理解。そのことにこだわり続けてきたウメハラだが、それらは重要なことではないと知った。ただ、自分はゲームが好きで、それができることの幸せを、正直に噛みしめてもいいのだということを、介護の現場が教えてくれた。

 「大会に勝って100の喜びを得ようとは思わない。それよりも、日々の練習において60の喜びを得たい(中略)矛盾するようだが、結果に固執しないと結果が伴う(中略)日々努力を重ねて、日々成長を感じる。そうすれば毎日が楽しい。いつか来る大きな幸せよりも、毎日が楽しい方が僕には遥かに幸せなことだ」(同)

 ウメハラは今日も、野球選手や歌手のような眩いスポットを浴びることのない、夜の歓楽街にある小さなゲームセンターで、世界一のプレイを追求し続けている。=敬称略=


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