大栗川通信

元記者でマーケターになった中年男「サパロメ」が、本や映画(アニメ、テレビ)や家電のレビュー、育児やブログ運営、ダイエットなどについて雑記をつづります

さまざまな価値観は、許されている

これはなんでしょう?

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そう、昔、オさレなオジサマがお召しになっているのをたまにみかけた、
ループタイでございます。
こいつを衝動買いし、
ここ最近、たまに嬉々として身に着けているのは、
テレビ東京で今年初夏に放映していたドラマ「鈴木先生」の影響でございます。

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鈴木先生にはまった最大の理由は、
「さまざまな価値観が許されている」という考え方です。

中学校教員の鈴木先生は、
セックスの問題で自分の彼女が処女ではないということで悩み、
苦しむ男子生徒を話題に取り上げて、おおよそ、こんなことを語ります。

「つまらない処女信仰は、女性にとっておぞましい思考だ。
ただ、それはこのテーマだけに限った人のエゴの話ではない。

たとえば、人を外見で判断するか内面で判断するかという問題。
一見、外見より内面で判断する人は思慮深く徳の高い人のように見える。
しかし、内面重視も自己の優位性や生活の安定性など、たくさんの隠蔽されたエゴが、そこにはある。

どんな価値観にも、その根底には必ず一部の偏ったエゴが隠されている。

処女信仰はキモイ、外見重視はサイテー。

それらの価値観も、根底には一部のエゴが巧妙に隠蔽されている。

この世で何よりも恐ろしいことは、その偏った価値観を、
あたかも絶対普遍の真理のように語って、
ほかの価値観を押しつぶしてしまうことだ。
世の中の支持を全く得られないマイナーな価値観が、
多数決や一部の人たちが理解できないというだけの理由で、
簡単に葬りされてしまうことが何よりも恐ろしい。

人を愛し、好きになるという美しい現象や行為は、
こうした価値観の相違を乗り越えて、
自分より他人を尊重するということなのではないかと思う。

だから忘れてほしくない重要なことは、
自分の価値観、愛する人の価値観、
その価値観らは絶対のものではなく、
同じほかの価値観が同じくさまざまなエゴの上になりたっているように、
ただ、許されているということを、どうか忘れないでもらいたい。
自らが貫くエゴに伴う痛みを、どうか忘れないでもらいたい」

軽くビールとサワーとハイボールと日本酒を飲みながら書いているので、
セリフがかなり違っていたり、内容も不確かな記憶なのでどうかという感じですが、
おおよそこのような趣旨の主張をしていたと思います。

マスメディアが絶対の価値観として報道しているように、
常識というか悪良識というかそういうものがはびこっている状況のように、
何らかの尺度で価値観の重み付けを定義して、
それによって価値観の排除や優性論的なことがあちこちにある現状はどうなのだろうか。


まあ、「ソーシャル一揆を起こそう!」みたいなあまりにも偏った価値観はどうかと思いますが、いずれにせよ、互いのエゴを認識し合い、価値観を尊重し合う環境の上に、目指すべき本来の世界があるように思えてしまいます。

何はともあれ、今週もイカ娘がかわいくて何よりでした☆