青臭い人間こそ
今日は、最高の一日でした☆
ずっと憧れていた、
ネットの世界で超有名なあの人とランチなどしたのです!!
この方は大変ロッカーな方なのですが、
グーグル先生に聞いてみたところ、
果てしなくロッカーの画像はこのようなものしかありません!!
ロッカーといえばロックンロール!!
ロックンローラーの画像がすぐに出てこない世の中は、
どうなのでしょうか?
大変けしからんと思ってしまうし、
ロックンローラーといえば「高橋優」なのであります!!
などということはどうでもよく、
ロッカーだと思っていたこの方は本当にロッカーでした!!
上の写真のようだったという意味ではありません!
思い切って話を聞いてみたんです。
わたしのようにたいした才能もなく、
ネットのオープン化の流れに乗れない人は、
唯一の明るい可能性の新しいネット社会の中で、
どのような明るい未来を描けるのか。
意見交換の中でわたしなりに導いた答えは、
「生きる目的が鮮明(明確)になれば、
ネットやリアルなどの活動場所の違いは関係なく、
上下や優劣の感情を超えてそれぞれの納得感の中で幸福感を得られる」
というものでした。
例によってビールとサワーとハイボールと日本酒を飲んでいるので全くわけが分かりませんが、
おそらく人はそれぞれのキャパに応じた梯子を持っていて、
上るべき梯子を見つけられるか否か、
あるいはその梯子のどれだけ上にたどりつけたか、たどりつこうとしたかによって、
その納得感に応じた幸福感を得られるのではないかということです。
以前、
「悪人とは?」のブログでも触れましたが、
人が熱くなり、自らの人生をかけてもいいというような情熱を抱くのは、
失ったら困る何かを抱えていたり、人に笑われるかもしれないけど叶えたい何かを"持っている”ということが、
何より重要なことのように思えるのです。
失ったり、叶えられない何かがあることをさらした瞬間、
人は本当に弱い自分を見せざるを得ません。
これは、本当に本当になさけないことであったり、
恥ずかしいことであったりするでしょう。
しかし、だからといって、そういう弱さを見せないがために、
恥ずかしい自分をさらさないがために、
自分だけはそういう弱さや恥ずかしさがないといいたいがために、
熱くなれる何かや、失ったら号泣してしまう何かをもたないということは、
本末転倒な、ただの強がり、「誰得?」な言動でしかないのでしょう。
"持っている”ことには勇気もいるけれど、
射に構えた生き方がかっこいい、それが無難というような世の中が、
何かおかしいんじゃないかと感じている人も案外いるのではないかと考えていたときに、
僕の大ファンが書いたエントリーがこちらだったのです。
今は青臭いことが言える時代
名前を伏せていたことが全く意味のない流れになってしまいましたが、
この短いエントリーを見たときに、
涙があふれ出てくるのを止められなかったのです。
完全にイカれアラフォー、イカおやじなのです。
もう何を言っているのか分からなくなってきたので、
そろそろ「Fate/ZERO」の最新話を見て寝ることにしますが、
青がベースのブログだと発言内容が青臭くなってしまうということを、
わたしは申し上げたかったのです!!