みんな知りたい「なぜ生きる」の答え
「えっ、こんなの読んでるの?」って感じな書籍ですが、とりあえず読んだので読書メモをご共有☆
一言で言うと、本書は親鸞の哲学を軸に、「なぜ生きる?」の問いに対して回答するようでありながら、結局、回答はあいまいという典型的なアレな書籍なわけです。
ただ、面白く興味深い部分はあったわけで、その辺の代表的なエピソードをピックアップします。
所はある南の国。登場人文つはアメリカ人と現地人。ヤシの木の下で、いつも昼寝をしている男を捕まえてアメリカ人が説教している。「怠けていずに、働いて金を,儲けたらどうだ」ジロリと見上げて、男が言う。「金を儲けて、どうするのだ」「銀行に預けておけば、大きな金になる」「大きな金ができたら、どうする」「立派な家を建て、もっと金ができれば、暖かいところに別荘でも持つか」「別荘を持って、どうするのだ」「別荘の庭のヤシの下で昼寝でもするよ」「俺はもう前から、ヤシの下で昼寝をしているさ」
まあ、こんな感じのエピソードがつらつらとあって、こうしたエピソードに対して、親鸞の教えがどれほど明確で的確な答えを与えているか、と盛り上げる一方で、読者は置いてけぼりのまま「おいおい、『なぜ生きる』の回答はどこに行ったんだよ?」「『親鸞が明快な回答を示している』って繰り返しているけど、それってどこなの?」な感じでテンションだだ下がりなイメージが本書の個人的な感想なわけです。
「生きる意味」という命題は成立しそうでなかなか成立しないので、なんとも難しい感じではあるのですが、これを考えない、考えることを無意味だと言い切ってしまう人には、個人的に「それってどうなのかな」と思ってしまいます。難しいテーマを難しいテーマと割りきってしまう大人っぽさと、大人っぽさを良しとする風潮に乗っかって勝ち組気分でいるような感じが、何とも面白くないからであります。何か、賢そうに振舞っている人って、気分悪いっすよね。「自分だけ安全地帯で好き放題の物言いかよ」ってな感じで。
まあ、5段階評価すれば2とか3な感じなわけですが、たまにはこういう壮大なテーマについてあれこれ無駄な思考を働かせるのもいいかもしれません。