大栗川通信

元記者でマーケターになった中年男「サパロメ」が、本や映画(アニメ、テレビ)や家電のレビュー、育児やブログ運営、ダイエットなどについて雑記をつづります

「倍返しだ!」より「頑張れ!」、ドラマ「刑事のまなざし」

 諸事情で全く更新できなかったけど、また今日から不定期ながら更新ということで。

 きっかけとなったのはドラマ「刑事のまなざし」。なんか今期は話題のドラマでいい作品がなく(安堂なんとか、とか)、たまたま「なんだこのタイトル名」とちょっと気になって見始めたら、はまりまくり。「倍返しだ!」のあの作品よりも、今年最高のドラマに推したいな。

 もちろん、「倍返しだ!」も「現代の時代劇」として最高に面白かったんだけど、ドラマの根底に流れるメッセージが、「刑事のまなざし」の方が、個人的には好感が持てた。

元カウンセラーの刑事

 「刑事のまなざし」は、ある事件で娘が植物状態になってしまった元法務技官(受刑者とかのカウンセラー、な感じ)が、刑事に転職して、法務技官のカウンセラーとしての視点と、刑事として正義を貫く視点を組み合わせ、難事件を解決していくというもの。娘の件について、「復讐のために刑事になったのでは」という切り口も、主人公が刑事になった真意が分からないという点で、このドラマのもう一つの見所になっている。

 毎回、罪を犯した人の心に踏み込んで、「なぜ罪を犯したのか」「罪を償うにはどうすればいいのか」「被害者はどうすれば救われるのか」という視点で話が進む。こうしたこのドラマの第一話から最終回までの根底に流れているメッセージに、強く惹かれた。それは、「頑張れ!」というメッセージだ。

「頑張れ!」は禁句?

 「何をありきたりな」と思うかもしれないが、頑張ることを推奨しづらい、あるいは推奨できない今の日本の雰囲気の中で(被災者に頑張れと言えない、鬱の人に「頑張れ」と言うと自殺されかねない、とか)、あえてこのメッセージを打ち出していることに、意味があると思うし、個人的に強く共感してしまう。

 先日読んだ本のタイトルだが、『「本気で生きる」以外に人生を楽しくする方法があるなら教えてくれ』と、最近思うようになってきた。不況やグローバル化などでこれまでの「会社人生」が見直され始めている中、「倍返しだ!」と声を上げるのは爽快だ。しかし、どんなに辛い状況であっても、自分が選んだ道を否定することなく、踏ん張る努力も必要なのではないかと思う。

不幸の始まりは当事者意識の欠如

 自分の人生なのに、世の中のせい、会社のせい、友達のせい、家族のせいにして、自分不在で今ある生を否定することは、すべての不幸の始まりなのではないか。どんな状況にあっても、当事者意識を持ち、自分の力で乗り越えることでしか、真の充実感は得られないだろうし、真の幸福感は得られないだろう。何より、自分のことを好きになれない。

 ドラマの中で指摘していたが、このクリスマスシーズンに、輝かしいイルミネーションを眺めるすべての人たちが幸せとは限らない。人の数だけ、語り尽くせない苦労、悲しい過去もあるはずだ。

 大袈裟にいえば、今の世の中を生き抜くためには「頑張れる」という、人としての根源的なパワーが不可欠なのではないか。頑張りすぎることの悪作用もよく指摘されるが、むしろ「頑張れるパワー」がないからこそ、簡単に自らの生や他人の生を奪ってしまうような不幸を招いてしまうのではないか。

 人生は苦労や悲しいことの連続だが、それを乗り越えるパワーがあったからこそ、輝かしいイルミネーションを眺める瞬間にたどりつけた、そう考えるべきではないかと、このドラマは訴えかけている。

憎いあの人より、大切なあの人へ

 刑事として、厳しい視点で現実を解き明かし、それでもなお、苦しみを乗り越えた先に、生きることの喜びが待っていると、優しい視点で「頑張れ!」と訴えかけるーー。そこに心揺さぶられた作品だった。

 今年一番のドラマを通じたメッセージを選ぶとしたら、憎いあの人へ「倍返し」することよりも、大切なあの人へ「頑張れ」と言うことの大切さを選びたい(「倍返しだ!」好きの人、何度もすいません、自分も超好きなのですが、なんか比較しやすかったもので…)。