パパ会を創った僕が「パパ」にこだわる本当の理由
東京都八王子市の京王堀之内駅から徒歩3分ほどのところにある育児支援施設の八王子市親子つどいの広場「堀之内カシュカシュ」。利用者のほとんどは京王堀之内駅周辺のママたちですが、ほぼ月1回のペースでパパたちが集まる「パパだけのしゃべり場」も開催されています。しゃべり場を起点に、2010年7月にはパパたちのネットワーキンググループ「Cache-PAPA」(パパ会)が誕生。約5年の活動で、200人以上のパパたちとつながり、定期的に飲み会や音楽活動などのイベントを開催するグループに成長しました。パパ会は、どういう経緯で、何を目的に、どういった背景で立ち上げられたのか――。パパ会の創設者である田所喬さんに聞きました。
――結構飲みましたね…(インタビューは「飲みながら」と言いながら、関係ない話をしばらくしてから始めました…)。もうどうでもいいと思っているかもしれませんが、せっかくですからパパ会を立ち上げた経緯から教えていただけませんか。
そうでしたね、すっかり忘れていました。パパ会のことですよね。
子どもたちに、自分たちが育った地域を「いいな」と思ってもらいたいと思ったことがきっかけです。
僕は茨城県の水戸で生まれ育ったのですが、とてもいい地域だと今でも思います。子ども心にそう思った最大の要因は、地域の人たちとのつながりです。昔からの知り合い同士が声をかけ合い、助け合い、地域の物事に感心があり、参加していました。また、そういうつながりを大人たちが心底楽しんでいるように映ったんです。
やはり、子どもたちに「自分たちの地域はいいな」と思ってもらうには、大人たちが地域の人たちとのつながりを楽しんでいることが大前提ですよね。「堀之内カシュカシュ」では、ママたちの間ではそういうつながりが生まれ、育っているとは思いますが、パパたちにはそういうものがありませんでした。
僕が「カシュカシュ」に通い始める前に、「パパのしゃべり場」というイベントは月1回あったんです。でも、「パパと子ども限定」ではなかった。「ママも一緒にオッケー」というスタイルだったので、いざ集まってもパパはしゃべらない。ママ同士はしゃべって、パパは車座の外にポツン。場を仕切るのも広場のスタッフの皆さんだったので、女性(ママ)主導で、パパも「居づらさ」みたいなものがあったのだと思います。そこで、広場のスタッフの方から、「パパ主導でやりたいんだけど、やってもらえませんか?」と依頼が来たのが、パパ会の始まりです。
ですから、「僕が何とかしよう!」と決心し、「パパのしゃべり場」を仕切らせていただきました。結果、出会いにも恵まれたのですが、僕が仕切った最初の「パパのしゃべり場」に集まったパパたちは意気投合し、その日のうちにみんなで飲みに行きました。
その後もしゃべり場を起点に活動し、2010年7月にはパパ会を立ち上げ、このつながりを広めようと、八王子市内に5か所ある「八王子市親子つどいの広場」に足を運び、各広場にパパ会を立ち上げてきました。その頃は、毎週どこかの会に参加していましたね。その結果、200人以上のパパたちとつながることができました。
――経緯は分かりましたが、活動に捧げる熱量がハンパないですね。当時は男性の積極的な育児を称賛する「イクメン」という言葉がもてはやされていたので、一緒くたにされることもあったと思いますが、「まずは大人が」という視点がちょっと違いますよね。どこからそのような熱量が湧いてくるんですか。
「イクメン」と呼ばれるのには違和感がありますね。特に、その特別感が嫌です。ママは毎日、休むことなく必死で育児をしているのに、どんなに頑張ろうと「イクママ」と呼ばれることはありませんよね。なのに、パパは少しでも育児に関与したらすぐに「イクメン」という風潮は、正直、気持ち悪いです。ママにも失礼ですし、「パパは育児をしない」ということを前提に作られた造語ですから、本来、パパにも失礼な言葉なんですよね。「イクメン」なんて言葉、早くなくなってくれればいいのにと、今でも思います(「イクメン」については、パパ会立ち上げ当初から言及している※関連記事はこちら)。
もっと言うと、開国を迫られる前の江戸時代は、父親が子どもの面倒を見るのは当たり前でした。つまり、そもそもイクメンという言葉が成立しない社会だったわけです。日本は本来、そういう国でした。「父は外で仕事。母は家で育児」という考え方は、戦後に出てきた価値観で、そのことをさも昔からあった絶対普遍の価値観のように語ること自体、おかしいのです。
ただ、「イクメン」という言葉が、パパが育児へ興味を持つ一つのきっかけになるという一面もあるので、その点は素晴らしいと思います。何事も一つの価値観がすべてではないので、「イクメン」という言葉を全否定するつもりはありません。
熱量については、どうでしょう。僕は基本的に初めて会った人に「この人どういう人なのだろう」という好奇心が湧いてしまう人間なんですよね。ですから、毎週そういう活動をすることは全く苦ではなく、むしろ楽しいというか。
――昔からそういう性格だったんですか。
いやいや、むしろ子どもの頃は赤面症で、知らない人どころか、知っている人たちからでも何か注目されることがあると、すぐに真っ赤になるような性格だったんです。
変化のきっかけは、カナダに留学したことですね。カナダでは毎日のように知らない人としっかりとコミュニケーションできないと生きていけませんから、必要に迫られて何度も繰り返しコミュニケーションしていく中で、最初こそ赤面症に悩まされましたが、気がついたら今のような性格になっていました。人間、生まれながらにして克服できない苦手なことなどほとんどなく、どんなことでも数をこなせば、それなりにはなるんですよね。
カナダ留学は、自身の性格だけではなく、価値観も一変させられました。カナダの人って、普通に道を歩いている外国人にも、まるで昔から知っている近所の人のように話しかけてくるんです。ものすごくオープンで、ボーダーレスで、「これまでクローズドでボーダーを気にしていた自分は何だったのか」と、生きる姿勢というか価値観について考えさせられました。
――ちなみに海外への興味というのは何かきっかけがあったんですか。
中学生の時に、祖父の家に外国人がホームステイでしばらく下宿していた時期があったんです。自分が住んだことのない国から来た、見た目も、おそらく考え方も違うであろう外国人に、なぜかものすごく憧れを抱いたんですよね。でも、自分は英語が喋れず、コミュニケーションが全くできなかった。そのことが悔しくて、その後の英語や海外への興味に大きく影響を与えたのだと思います。
知らない人とのコミュニケーションは留学が大きな転機になりましたが、多様な価値観と触れ合えることへの憧れや渇望は、この頃からあったのだと思います。きっと、たった一人の人間や一つの価値観でできることって、限界があると思うんです。ものすごく大きな、爆発的な可能性への第一歩って、まずは多様な価値観を受け入れ、まずはコミュニケーションし始めることだと思うんです。この感覚、分かります?
――分かります。僕は『鈴木先生』という漫画が好きで、中でも避妊に関する性教育の話をとても印象的に覚えています。性教育に限らず、子どもが大人たちに一つの価値観を押し付けられたり、逆にある特定の価値観を完全否定されてしまうことってありますよね。それが教育の現場でも家庭でも散見され、そのことを危惧する中学校教諭である鈴木先生が「一つの価値観が世の中を支配してしまったり、少数派の価値観が無惨にも潰されてしまうことは、この世で最も恐ろしいことの一つだ」と、大人と子ども双方に訴えるシーンには、強く共感しました(関連記事はこちら)。
まさにそういうことです。多様な価値観を受け入れられないっていうことは、同時に多くの可能性を潰してしまうことでもあると思うんですよね。その感覚は、僕の根底にずっと流れている軸となる考え方だと思います。
ですから、パパ会もそういう多様な価値観に適した場にしたいと思っているんです。パパ会に積極的に参加してくれる人もいれば、1回だけは来てくれる人、絶対に顔を出してくれない人といますが、それでいいんです。パパ会は地域の人たちとつながるための一つのツールなので、活用したいという人もいれば、活用したくないという人もいるのは当然です。重要なことは、地域にそういうツールがあるかないかです。
何かがきっかけでしゃべり場や飲み会などに出席してくれるパパには、必ずしもそこに集まるみんなと仲良くなる必要はないということも知っておいてもらいたいです。イベントには、本当にさまざまな人たちが来ます。ですから、その中で自分の価値観に合う人とだけ仲良くするのもいいでしょうし、逆に価値観や経験が全く異なる人との触れ合いのきっかけにするのもいいですし、肌に合わないと思えば無理して来る必要もないですし、また来たくなれば来ればいいと思います。そんないい具合に緩く、多様な価値観を受け入れられるツールであり続けたいです。
――公園管理の仕事をされていますが、やはり多様な価値観という視点が関係しているのですか。
そうですね。地域でボーダレスな場所って公園だと思いますし、地域の縮図のようなところがあると思います。人が集まらない公園や特定のカテゴリーの人たちしか集まらない公園って、その地域の人間関係を示していると言えるのではないでしょうか。逆に、子どもから高齢者まで幅広い年齢層が集まる公園って、地域としてうまくいっている一つの目安になるし、そこに暮らす人たちの幸せを感じることができると思うんです。
それと、「新しいものがすべてではない」という考え方にも大きく影響されました。特に子育てをしていて思い知らされたのですが、新しいおもちゃを買い与えたりすると子どもは喜びますし、新しいものって、とても便利なんですよね。そこに工夫がなくても、「新しい」というただそれだけが価値になるので。ですから、新しいものは「新しい」という価値が色あせてしまえば、それまでなんです。重要なことは、新しいものであろうと、すでにあるものであろうと、「そこにあるものをどう生かすのか」という視点が本質的で、それでほとんどのことが解決するはずです。
地域の問題も同じだと思っています。新しいものはとても便利で、僕らの暮らしを豊かにしてはくれるのですが、子どもたちに「自分たちの地域はいいな」と思ってもらえるための本質的な回答がそこにあるとは、思えないんです。「そこにあるものをどう生かすのか」という視点で、大人たちが、子どもたちが、当事者としての意識を持って工夫できるか否かが、重要なのではないでしょうか。特に、ボーダレスな公園には、その工夫の余地があるように思えたんです。
――確かに、当事者意識って重要ですよね。一つだけ分からないのが、多様な価値観に対するこだわりなのですが、何かこだわってしまう理由があるんですか。
今ではそうでもないのですが、実は昔、父のことが嫌いだったんです。個人事業主で、自分が絶対に正しいという信念が強く、一つの価値観を押し付けてくるタイプだったので。今思ってみると、そのことが僕の多様な価値観に対するこだわりの原点なのかもしれませんね。
父のことが嫌いって、つらいことなんです。だから僕は、子どもにそうは思ってもらいたくないんです。自分がそう思われたくないということではなく、とてもつらいことなので。
父親が子どもにしてあげられることは限られていますが、それでも父親の存在は、子どもにとって大きすぎるほどの存在なんです。だから僕は、できる限り多様な価値観を受け入れられる存在でありたいと、そう願いますし、そのための行動をしたいんです。
――ありがとうございました。それでは最後に、言いづらいかもしれませんが、京王堀之内駅周辺の「オススメ公園ベスト3」のようなものがあれば教えてもらえませんか。
立場的にも、絞り込むのもかなり難しいのですが…。そうですね、ではこうしましょう。「娘と行って楽しかった、おススメの公園ベスト3」でご勘弁ください(笑)。
3位は「別所くすのき公園」ですかね。ここは子どもが喜ぶローラースライダーがあるのがいいですね。トイレも最近リニューアルして、とてもきれいです。
2位は「富士見台公園」でしょうか。やはり広くて見晴らしもよく、年間を通じて幅広い年齢層が利用できるオールラウンドな公園と言えるところが最大の魅力でしょうね。
1位には「堀之内芝原公園」を推します。とても見晴らしがよく、滑車などの遊具もあり、春にはとてもキレイな桜を見ることもできます。あまり知られていないようなので混んでなく、個人的には一押しの公園です。
――本日はありがとうございました。
田所さんにお会いしてから、ずっと「ケビン・コスナー主演の名作『フィールド・オブ・ドリームス』の主人公のような人だな」と思っていました。別に、ケビン・コスナーに似ていると言っているわけではありません。
『フィールド・オブ・ドリームス』は、主人公である妻子持ちの農夫がある日、「それを作れば、彼は来る」という不思議な声を聞くところから始まります。その後、主人公は声の導くままになぜか自分の畑を野球場に変えてしまい、周囲にあざ笑われながらも信念を貫き、その野球場を舞台に故人の名選手などとの交流を重ねながら、亡くなった父に再会するまでの物語です。
実はこの主人公、ともに野球を愛する父と口論の末に家を飛び出してから死別してしまい、ずっとそのことを悔やんでいました。物語は父との唯一の絆である「野球」を軸に、夢や夫婦、家族の大切さ、人間の弱さ、そして親への愛などをテーマに編まれていきます。
何かに導かれるように、一つの目的に突き進んでいく主人公に、何となく田所さんの姿を重ねて見てしまうところがありましたが、インタビューを通じて、ようやくそのよう理由が分かったような気がしました。繰り返しますが、ケビン・コスナーに似ていると言っているわけではありません。
ちなみに、この映画は父と主人公の短い会話で幕を閉じます。父は、主人公が大嫌いだったはずの、野球への憧れを捨てきれず、マイナー・リーグでプレイしていた頃の姿で現れます。息子とは知らずに、野球場を作ってくれたことへ素直に感謝の言葉を述べる父。父と握手を交わした主人公は、しばらくしてから意を決したように、父に語りかけます。
「ねえ父さん、キャッチボールしようよ」
子どもだった頃も、そして親になった今でも、大好きな映画のワンシーンの一つです。