大栗川通信

元記者でマーケターになった中年男「サパロメ」が、本や映画(アニメ、テレビ)や家電のレビュー、育児やブログ運営、ダイエットなどについて雑記をつづります

当事者意識とビジョンを教えてくれた最初で最高の憧れの元上司が凄すぎる

 最初の上司は、超敏腕記者でした。三流紙の記者として社会人デビューし、一流紙への劣等感も少なからずある中で、スクープや話題の連載を連発する上司。一流のテレビや新聞の同業者も、頻繁に彼の情報に頼りました。

 三流紙の駆け出しの記者にとって、最初の上司は最高の誇りでした。と同時に、新人記者にとっては圧倒的過ぎる存在で、何をしても怒られてばかりでした。

 今でも忘れられないのは、取材先の対応を批判した際に「言い訳をしている限り、成長はないぞ」と言われたことです。社会人として「まず自分がどうすべきか」という「当事者意識」を植え付けられました。

 「当事者意識」は、ジャーナリストの佐々木俊尚さんの著書『当事者の時代』を読んで、ここ最近の自身の重要テーマにしています。組織や社会に属する個の人間として、「組織や社会の誰かがやってくれるだろう」と、まるで自分は部外者のような態度を取ることへの批判を含んでいる言葉です。

[amazonjs asin="4334036724" locale="JP" title="「当事者」の時代 (光文社新書)"]

 佐々木氏は、新聞記者出身で、新聞やテレビのマスメディアを、主語不在の主張をしていると指摘し、そのことがマスメディア衰退の最も大きな原因としています。つまり、「○○することが求められている」だとか、「○○は、何々すべきだ」などと主張する論説を執筆する一方、その主語が非常に不明確なのです。ゆえに責任を持った言論を展開することができず、大衆迎合の論説がはびこり、そのことを読者は薄々気づいていて、「マスメディアは信頼できない」という共通認識が潜在的に形成されつつあることが(ほぼ、顕在化していますが。。)、マスメディア衰退の主因とするわけです。

 最初の上司から言われた最も印象的は指摘は、まさにそういうことでした。マスメディアではないにしても、メディアに所属する人間が当事者意識を欠いていたら、記者としても、社会人としても、成長はない、という教えだったと、自分の中では理解しています。

 先日、この元上司が某流通企業の執行役員として、中間管理職である「課長時代」を語るインタビューを目にしました。記事の見出しは、「目的と方針がなければ、努力と勇気は十分ではない」(ジョン・F・ケネディの言葉のようです)。一般社員として努力し続けていた当時、元上司の仕事量はおそらく自分の5~10倍以上で、上司たるもの、部下のそれくらいの生産性がないと認められないのでは、とうっすら考えていたことを思い出します。ただ、それも必要なのでしょうけれど、一般社員のパフォーマンスを判断する仕事量だけではなく、管理職になると、どれだけ明確なビジョンを示せるかが重要で、そのことで現場の仕事の仕方における混乱を排除し、モチベーションの向上を促進するのだと、中間管理職に必要とされる姿勢が言い表されているように思えました。

 目的と方針がなければ、努力と勇気は十分ではない――。元上司の言葉を忘れないため、元上司に憧れ、いち早く追いつき、追い越したいと無謀な目標を追いかけていた当時の自身の初心を忘れないためにも、記事は自宅の仕事場の一番目に付く場所に貼ってあります。

[amazonjs asin="4886837719" locale="JP" title="ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか 語り得ないものとの闘い"]