大栗川通信

元記者でマーケターになった中年男「サパロメ」が、本や映画(アニメ、テレビ)や家電のレビュー、育児やブログ運営、ダイエットなどについて雑記をつづります

大人になるとは、さまざまなことをあきらめていくこと

 育児で子どもの言動を見ていると、悪いところばかりが目に付きます。なるべく怒らないように、小言を言わないようにと思ってはいるのですが、そういう目で子どもを見ているものですから、ついつい、小言が増えてしまいます。

 「この子はどんな大人になるのだろうか…」とふと思うこともたまにあります。「そもそもお前がそんな立派な人間じゃないだろう」という突っ込みがすぐに浮かぶ一方で、タイトルにある作家の村上春樹さん言葉に妙に納得したことを思います。

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 2015年だったでしょうか、村上春樹さんがさまざまな質問に回答する特設サイト「村上さんのところ」がネットで話題になることが多い時期がありました。含蓄のある回答から、「えっ、その返し!」と驚くことも多く、話題の回はほぼ見てしまっていました。まあ、2chまとめサイトとか経由ですが。

 その中で特に印象深かったのは、自身が「子どもっぽい」と悩む中年女性への回答です。

 高齢者と呼ばれる年齢に差し掛かった村上さんでも、自身を子供っぽいと感じる部分があるそうです。ただその一方、以前より研ぎ澄まされた部分もあるとした上で「人間は斑(まだら)にできているもの。大人になるとは、さまざまなことを諦めていくこと」と諭しました。

 あきらめることは、自ら選ぶことと表裏一体で、それができないと、まだらであることを否定する方向に向かってしまうのだと感じます。確かに、まだらであることは気になります。まだらが少なければ少ないほど、望ましいのでしょう。ただ、人の本当の価値は、まだらではあるものの、その中のキラリと光る部分をより磨き、より高みを目指すことに専念できるかどうかで決まるのだと、村上さんはおっしゃっているのだと、個人的には受け止めました。

 自分自身、本当に大したものではないとつくづく感じますが、それでも何とかこの年(中年)まで生きてこれたのは、微小な自分の強みと言える部分を磨き続けてきたからなのだと思います。その強みを他人と較べて、その小ささに凹んだり、輝きが増す速度が遅いと苛立つことも多いのですが、それでもやけにならず(結構、やけになってバカしてきましたが…)、それらを磨き続けることの大切さは、一応、知ってはいるつもりです。

 子どもの成長を見ていると、やはりまだらが気にはなってしまいますが、キラリと光る部分にもっと、目を向けてあげなければと、今日もまた反省します。そして自分自身もそれらを磨き、その大切さを言葉ではなく、態度で示していかなければ。「やっぱ、子育てって、子どもに自分が育てられているよね」と、改めて感じた次第です。

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