大栗川通信

元記者でマーケターになった中年男「サパロメ」が、本や映画(アニメ、テレビ)や家電のレビュー、育児やブログ運営、ダイエットなどについて雑記をつづります

人は統計より実話に弱い、メディアの説得術

 「この事例ではインパクトが弱いから掲載は難しいな」

 あるニュースサイトに勤務していた当時、2か月かけて取材してきた連載企画がボツになりかけました。連載の原稿を見たデスクは、内容こそ評価してくれたものの、導入部分の引きが弱いと判断し、掲載を見合わせました。

 テレビの報道特番や新聞の大型連載の多くが、かなりインパクトのある事例から入っていることを思い返せるかと思います。メディア関係者がインパクトのある事例にこだわるのは、「人は統計より一つの実話に弱い」というノウハウを受け継いできており、その威力を経験則から熟知しているためです。

 いくら丹念に取材を重ねて得た重要な情報でも、最初に読者をひきつけることができなければ、読んでもらうことさえできません。CDが売れていた頃は、知らないアーティストであってもCDのジャケットの写真やイラストのインパクトがあると衝動買いする「ジャケ買い」という言葉がありましたよね。あれに近い感じです、涙が出るほど非効率な購買行動ではあると思いますが。

 それはさておき、最初が肝心ということですよね。よく聞く話として、1分プレゼンというのがあります。10秒でも5分でもいいのですが、会社で企画を提案する際に活用されることが多いようで、ある知り合いの部長さんいわく、「一言で言うことができず、印象にも残らないような企画に価値はない」とのことです。もちろん、この部長さんも企画の内容に価値がないと言っているのではなく、「まず人の目に止まらないと、どんな価値ある企画であっても日の目を見ない。ましてや、その企画を知る上での予備知識が多いと考えられる同じ会社の上司や同僚の気を一瞬で引けないようでは駄目」ということなのでしょう。

 その印象ある一言を集約したエピソードを、メディアは常に求めています。インパクトがあり、かつ、その言いたいことの核を含んでいるエピソードです。完璧にマッチしなくても、それに近いエピソードであれば及第点と言えるでしょう。しかし、近いエピソードさえも見つからない場合、取材期間が足りないという要因もあるかもしれませんが、大抵の場合、その伝えたいことは根拠に乏しいことがほとんどと言えます。

 ちなみに、冒頭で紹介した連載企画は、再取材して良い事例を掴むことができたため無事掲載。その結果、話題となり、伝えたかった情報が日の目を見ました。「人は統計より一つの実話に弱い」という示唆は、より効果的に伝えるためのテクニックとして、また、伝えたいことの価値を測る一つの尺度としても活用できそうです。

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大人になるとは、さまざまなことをあきらめていくこと

 育児で子どもの言動を見ていると、悪いところばかりが目に付きます。なるべく怒らないように、小言を言わないようにと思ってはいるのですが、そういう目で子どもを見ているものですから、ついつい、小言が増えてしまいます。

 「この子はどんな大人になるのだろうか…」とふと思うこともたまにあります。「そもそもお前がそんな立派な人間じゃないだろう」という突っ込みがすぐに浮かぶ一方で、タイトルにある作家の村上春樹さん言葉に妙に納得したことを思います。

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 2015年だったでしょうか、村上春樹さんがさまざまな質問に回答する特設サイト「村上さんのところ」がネットで話題になることが多い時期がありました。含蓄のある回答から、「えっ、その返し!」と驚くことも多く、話題の回はほぼ見てしまっていました。まあ、2chまとめサイトとか経由ですが。

 その中で特に印象深かったのは、自身が「子どもっぽい」と悩む中年女性への回答です。

 高齢者と呼ばれる年齢に差し掛かった村上さんでも、自身を子供っぽいと感じる部分があるそうです。ただその一方、以前より研ぎ澄まされた部分もあるとした上で「人間は斑(まだら)にできているもの。大人になるとは、さまざまなことを諦めていくこと」と諭しました。

 あきらめることは、自ら選ぶことと表裏一体で、それができないと、まだらであることを否定する方向に向かってしまうのだと感じます。確かに、まだらであることは気になります。まだらが少なければ少ないほど、望ましいのでしょう。ただ、人の本当の価値は、まだらではあるものの、その中のキラリと光る部分をより磨き、より高みを目指すことに専念できるかどうかで決まるのだと、村上さんはおっしゃっているのだと、個人的には受け止めました。

 自分自身、本当に大したものではないとつくづく感じますが、それでも何とかこの年(中年)まで生きてこれたのは、微小な自分の強みと言える部分を磨き続けてきたからなのだと思います。その強みを他人と較べて、その小ささに凹んだり、輝きが増す速度が遅いと苛立つことも多いのですが、それでもやけにならず(結構、やけになってバカしてきましたが…)、それらを磨き続けることの大切さは、一応、知ってはいるつもりです。

 子どもの成長を見ていると、やはりまだらが気にはなってしまいますが、キラリと光る部分にもっと、目を向けてあげなければと、今日もまた反省します。そして自分自身もそれらを磨き、その大切さを言葉ではなく、態度で示していかなければ。「やっぱ、子育てって、子どもに自分が育てられているよね」と、改めて感じた次第です。

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愛を語るより、人の振り見て我が振り直そう

 今日は息子を怒りすぎてしまい、自己嫌悪。いくら正しいことを語ろうとも、それはあまり意味がないと、経験上、理解しています。優先すべきは言葉ではなく、親の行動であると。

 どうでもいい情報で恐縮ながら、初めてカラオケで歌った歌は、WANDSの「もっと強く君を抱きしめたなら」でした。そのWANDSの「愛を語るより口づけをかわそう」という曲がありますが、何というか、とても伝えたいメッセージがよく分かりますよね。理屈っぽい男って、女性に嫌われますから。

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 それと似た感じと言ったら何ですが、3歳くらいまでの子どもに言葉でいくら怒っても、あまり意味はないそうなんです。地元の子育て支援センターの方から聞いたお話ですが、いくら言葉で子どもに怒っても、子どもは「怒られた」という記憶しか残らず、その怒った言葉の意味はあまり理解できないそうです。

 なので、この方からアドバイスいただいたのは、怒りたくなっても、そういう状況を招いてしまった親の責任と考えて、怒らざるを得ない状況にならないよう、例えばこぼさない容器で飲み物を与えるだとか、そういう工夫を親の方ですべき、ということでした。

 その上で、親としてできることは、言葉で怒ることなく、見本となる態度で示すだけ、ということでした。

 確かに、子どもの観察力は素晴らしく、親の取った行動を正確に記憶し、それらを真似ます。最近では、親指を立てて「グッド」というジェスチャーをよくやるんですが、これを見ていたからでしょう、何かにつけて息子もグッドサインをするようになり、先日は布団を敷いていたら、息子から上から目線のグッドサインをいただき、かわいいのか腹立たしいのか、よく分からない感情に見舞われました。

 そういう認識ではあるものの、今朝、息子が食べていたパンを足で踏みつけていたのを目撃してしまうと、「ちょっとこれは許せん!」と、「人間は命を奪って食べることで生きている」だとか「感謝の気持ちを持たずに食事する人は食べ物にありつけなくなる」など、冷静に考えれば「そんなこと3歳児に言っても分かるわけないだろう」というようなことを、延々と語り、息子の行動変容に期待をしました。

 そんなことしたって、意味ないっすよね。人を傷つけたりなどのことは緊急避難的に止めることは必要でしょうけれど、それ以外は怒らずとも、簡潔に「いけないことだよ」と言うに留めて、日常の自らの行動を改めるしかないんですよね、本質的に子どもの行動を修正するには。

 また、妻の言動を見ていて、そう思うこともありますよね。人の振り直そうとする前に、我が振り直せよと。ただ、そのことはそっくりそのまま、自身にも当てはまりますよね。何よりの起点は、我が振り直せであるのなら、人のことああだこうだ言う前に、まずは自分だと。

 ということで、息子をクソ真面目に叱る前に、まずは自分だと再認識する一方、本日も安定の深酒と夜更かしの状況です。子育てって本当に、自分自身の生活や生き方のきっかけになりますよね、まあ、現時点ではそう思うだけですが。

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ネタを引き出す記者たちが重宝する情報収集方法7選

 ブログ更新のネタに困ること、ブロガーのみなさんならあるのではないでしょうか。同じように日々、ネタに困っているのが記者。そこで今回は、記者の情報収集方法について7つに整理し、それぞれの解説をしていきたいと思います。

(1)サイト更新巡回ツール

 「WWWC」というサイト更新の自動巡回ソフトを活用する記者は多いです。このソフトは、更新をチェックしたいサイトをあらかじめ登録しておけば、そのサイトが更新されているか否かをチェックすることができます。URLを最大30個同時に更新チェックできるそうで、非常に高速かつ効率的な更新チェックが可能です。あるいは、「はてなアンテナ」ですかね。

 ただ、個人的には少し精度に問題がある印象はあります。具体的には、「あるサイトのニュースリリースの更新だけ知りたい」という時など、ほかの情報更新も「更新」と認識してしまうようなので、アクセスしても欲しい情報が更新されていないということはよくあることです。30サイトチェックして、5サイトくらいが欲しい情報である、という感覚でした。

 とはいえ、タブブラウザで一気に複数サイトを開き、一個一個確認しても10分かからない作業なので、1日に何本も記事を書く方などは、いいかもしれませんね。

(2)RSSリーダー

 説明不要かもですが、念のため。更新情報を「RSS」や「RDF」、「XML」などという形式で受信するリーダーのことで、上記のサイト更新ツールよりも実用性が高いです。サイト更新ツールが「このサイトが情報更新したっぽい」とのメッセージを知らせるのに対して、こちらは更新情報の見出しとリードを教えてくれるイメージなので、わざわざそのサイトにいかなくても、更新情報の概要をおおよそ把握することができるのです。

 そのため、RSSを吐き出しているサイトであれば、基本的にはこのRSSリーダーに登録しておくといいでしょう。記者時代はGoogleリーダーを使っていましたが、今はお亡くなりになってしまったので、「Feedly」あたりですかね。これで対応できないものに関しては、サイト更新ツールという使い分けですかね。

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(3)メルマガ

 RSSリーダーやサイト更新ツールでは膨大な情報になってしまうニュースサイトや、苦手分野で読むのに時間がかかってしまう情報だけれど気になる分野の情報を扱うサイトの情報などは、メルマガ登録しておき、毎日ではないけれど、週に1回とか時間があるときに確認するといいかもしれません。

 個人的には、ニュースサイトでいうと日経などはRSSリーダーでチェックしてしまっていますが、医療ニュースサイトのM3やIT・エンタメ系を扱うマイナビニュースなどは、メルマガでチェックしています。Webマーケティング関係など苦手分野は、「ferret」というサイトなどのメルマガを購読しています。使い方としては、こんなイメージ。

(4)ソーシャルメディア

 サイトで定期的に情報更新していないけれど、視点が素晴らしかったり、「今日読んだいい情報」などをFacebookTwitterなどで紹介している有名人や友人の情報に関しては、ソーシャルメディアですかね。まあ、これはこれ以上説明する必要はないでしょう。結構、ソーシャルメディアでいい情報を得られる角度は高く、Facebookでの情報収集をベースにしてしまっている人も多いですね。

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(5)Google先生2ch

 説明不要ですかね。情報収集の入り口としてネットサーフィンしたり、この話題はネット上でどう語られているのか、ということで2chを見ることも多いですね。

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(6)本や雑誌

 オンラインの情報だけではやはり限界もあります。個人的には、ネタの収集先としてよりも、個人能力のレベルアップのため教材という感覚と、話題の本や良書などでレビューして記事にする、という感じですかね。記者の活用ということであれば、同じく勉強のための教材の意味と、もうひとつはインタビューする識者を探す手段の一つ、という感じですかね。

 雑誌ということであれば、週刊文春週刊新潮日経ビジネス東洋経済週刊ダイヤモンドは定期的にチェック、という感じでしょうか。まあ、個人的には記者時代、ほぼチェックしていなかったですが。

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(7)電話や直接取材

 やはり、記者はこれですね。説明するまでもないですが、「この人」という各分野のキーマンを定期的に訪れたり、電話をしたり、飲みに行ったりすることで得られるのは、なかなか表に出てこない情報であることが多く、まさにニュースになりやすいのです。

 ただ、当時と比べてオンライン上にかなり多くの情報が出てくることがほとんど。記者はアナログでの情報収集を必須ですが、ブログであればほぼオンラインでいけるのではないでしょうか。ということで、ネタがないのでネタ収集についてまとめてみました、お粗末。

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なぜ妻たちは子どもを怒りすぎるのか、郵便局員は見た

 職業柄、郵便局の配達員は、ある家庭の見てはならない一場面を見てしまうこともあるようです。特に遭遇してしまうことが多いのは、お互いに酷い言葉で罵倒し合う親子のようです。

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 その配達員は、とあるパパ友。ある日、一緒に電車で出かけることになり、うちの息子とこのパパ友の息子が車内でギャーギャー騒ぎ出し、とうとう喧嘩を始めました。それを見ていた妻たちが当然のようにブチ切れ、仲裁に入ろうとしたものの、二人そろって「お前たちは余計な口はさむな!」と目で訴えられ、追いやられる始末。「やれやれ」と互いに引き下がり、車内の白い目を背に座席に座り込むと、このパパ友は語り出しました。

 「正直、げんなりするんだよね、疲れて帰ってきて、二人とも機嫌が悪く、一緒に過ごす時間のおそらく9割は、2人の喧嘩を見ることになるんだから」

 うちも似たようなもんだなと思い、そう伝えると、さらに続きました。

 「そうなんだよね。まあ、正直、うちはいい方なのかなと思う。職業柄、母親と子どもの喧嘩の最中に遭遇すること、よくあるんだよね。この前見ちゃったのは、おそらく小学生低学年なんだろうな。チャイムを鳴らそうと扉の前にくると、『てめえ、ぶっ殺すぞ!』『やれるもんならやってみろクソババア!!』って、まあすごいわけよ。いつまで経っても終わる気配がないし、仕方なくその最中にチャイムを鳴らすと、妹なのかな、申し訳なさそうな顔して扉を開けてくれるわけ。見ちゃいけないと思ってはいたんだけれど、案の定、部屋の中はひっちゃかめっちゃか。そういう場面、珍しくないんだよね」

 ニュースで子どもが虐待を受けて親に殺されたとか、よく見かけますよね。そういうのを対岸の火事と他人事のように見ているけれど、このパパ友は、とてもそうは思えないようです。仕事で「これ以上いったら、結構まずいよな…」という場面をよく目にする一方、そこまではいかなくとも、自身の家庭でもそのレベルに行くかもしれないと危ぶまれる場面は、日常に潜んでいるわけですからです。そのことは、わたしも同感。絶対に、対岸の火事なんかではありません。

 その上でこのパパ友と呟いたのは、「どうして、そこまで妻たちは、子どもを怒るのかな…」。ただ、その呟きのすぐ後にお互いに思ったのは、今目の前でぐずっている子どもたちと、それに真剣に向き合う妻たち。「答えは明確だよな」とお互いに思い、現場に向かった二人ですが、やることなすこと、妻たちの要望にマッチしなかったようで、またしても「お前たちは余計な口はさむな!」と目で訴えられ、追いやられる始末。

 疲れ果てて帰路につき、息子も寝て、妻と一緒にテレビを見ていると、面白い話を見かけました。「仕事と家庭、どっちが大事なの?」との妻の言葉に、夫はどう返すべきか。この番組では、「もちろん、家庭だよ。ただ、仕事もとても大事なんだ。そんな風に思ってしまう俺、駄目かな」と返すことが正解で、そうすることで、妻も「駄目じゃないけど…」とキュンキュンきて、許しちゃうとのことです。

 テレビに全身全霊をかけたかかと落としをしたい気持ちの一方、「そうなのね」と納得しなければならないのかと思う気持ちの半々を得て、そのどちらが正しいのかはさておき、「やはり我々に求められているのは、家庭における良質なサンドバッグであることだ」との確信を深めました。父親として認められることよりも、まずは良い音を鳴らすサンドバッグであること、これ、重要ですよね。

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読まれる文章はタイトルと最初の一文がすべて

 せっかく書いた文章。ちゃんと最後まで読んでもらいたいですよね。長年、記者をやってきた経験から、何回かに分けて、自分なりの文章術を整理しつつまとめていきたいと思います。

 まず、読まれる文章のすべては、タイトルとそれを決める最初の一文がすべてです。これは記者時代の経験に基づいています。

読む価値がない記事

 駆け出しの記者だった当時、まだ数えられるほどしか取材した経験がなく、毎回、「用意した質問事項は全部聞けたけど、どう記事をまとめたらいいか分からない」などと、取材に行く度に悩んでいました。

 そんな当時の取材の帰り道、どう記事をまとめていいか分からず途方にくれていると、先輩のおじさん記者にこう言われました。「取材が終わった段階、あるいは取材している最中に見出しが決まらないような記事は、読む価値がない」

何を伝えるか一言で

 新人記者にありがちな記事作成は、取材ノートをみて悩みながら文章を書き始め、文章が書き上がってから見出しを付けるやり方です。それでよく上司に言われるのが、「こんな見出しじゃダメだ」の一言。上司に「この記事のポイントは何だ」など怒られながら何度も見出しを書き直し、ようやく見出しを決めた挙句、本文と全く整合性が取れなくなり、結局、一から本文を書き直す、という悲しみのパターンです。

 文章、特に記事の場合、限られた分量の中で伝えられることは限られます。なので最初に何を伝えるのかを明確に決めておかないと、論点が定まらなかったり、関係のない話題が入り込んできてしまいます。そもそもの内容やキャッチーな見出しが付けられるかどうかというセンスも大切ですが、最初に何を伝えるか絞り込み、それを一言で言うとどういうことなのか(見出し=タイトル)をまとめることが、誰にでもできる最も重要なテクニックです。記事が読まれるかどうかの8割以上は、見出しにかかっており、そのことを記者たちの間では「見出しが立つ」と呼んでいます。

リードは続きを読むかの判断材料

 見出しさえ立てば、次にやるのは最初の一文の作成です。この一文は「リード」と呼ばれ、見出しと内容が完全に一致していることが原則です。見出しのキーワードが出てこないリードは、最後まで読まれず、結局、リード後の記事本文は読まれません。つまり、リードの役割は、その後の記事を読むか否かを判断するためのもので、見出しを見て「おっ!」と思った人に対して、「うむうむ、ざっくりとそういうことなのか、よし、では詳細を見てみよう」とさせられるかどうかにかかっているのです。

 例えば、この文章。伝えたいこと(見出し)は、「読まれる文章で最も重要なことは見出しとリード」ですよね。なので、リードではこの「読まれる文章」と「見出しとリード」がもれなくはいっており、「続きを読もう」と思わせるざっくり解説が必要になります。そこで、見出しを文章でざっくり説明しつつ、「なぜ見出しとリードなのか」を「記者の経験に基づく」という理由を入れ込むことで、「読まれる文章のプロの意見なら詳細を読んでみたい」と思わせるわけです。

 こうして見出しとリードさえ決まれば、あとは記者時代に見出しとリードが重要であると分かったエピソード、見出しの付け方、リードの書き方を説明すれば、記事のできあがりです。

 見出しやリードのもっと細かい決め方や、リード後の効果的な文章の書き方などについても、もう少し書いておきたいことがあるのですが、それについてはまた改めて説明させていただきますね。

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「はじめまして、愛しています。」が残念だった、たった一つの理由

 個人的に大ヒットな予感のドラマだっただけに、残念です。毎回、楽しみにしていて、面白くはあったのですが、たった一つの理由で「うーむ」という感じで最終回を見終えました。

「『運命』とは、命を運ぶこと」

 そのドラマは、「はじめまして、愛しています。」。眠れず録りためていた「グッドパートナー」というドラマを見ていて、次回最終回ということなので新番組の番宣をたまたま目にしたのが、きっかけです。

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 おそらく「江口洋介ならいい演技するだろう」くらいの謎の「上から目線」と、ドデカく「脚本:遊川和彦」とあったのが、「どこかで聞いた脚本家だな」との思いと、「えらくド派手に脚本家をPRするな」と疑問に思い検索すると、「『女王の教室』の人だ!」との発見で一気に興味が湧き、ネットで調べまくり、「親子試写会」にも申し込んじゃいました!

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 半年の限られた期間で、親子でない親子の「親子になろうとする物語」という設定と、「特別養子縁組」という実際の制度をベースにした物語ということで、「親子とは何か」という難しいテーマに、「女王の教室」や「家政婦のミタ」の脚本家が、どのような問いかけをするかが、気になって仕方なかったのです。

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 その際、テレ朝のPRページを見て特に気になったのは、プロデューサーの山田兼司氏が強調する「『運命』とは、命を運ぶこと」というキャッチフレーズです。「確かに!」という言葉の組み合わせへの気付きと、「親子になろうとする物語」にこのキャッチフレーズをどう絡ませるのか、親子なのになかなか親子になれない立場の人間として、これまた気になって期待感が益々高まりました。

「愛してます」が増える世界は素敵

 さらにさらに、脚本家の遊川氏の「『はじめまして』と出会った人に、『愛しています』と伝えるまでが人生でしょ。知らない奴はみんな死んでしまえという風潮より、『愛しています』と言える人が増えれば、この世界は素敵ですよね」というコメントも気になり、テンションはMAXに達しました。

 「愛」については、「幸せになる勇気」を読んで付け焼き刃ながら、「愛していると好きの違いは何?」という長年の疑問へようやく納得のいく回答をもらえた気がしました。それは、超簡潔に言うと「わたしの課題」「あなたの課題」としか乗り越えるべき課題を考えられなかった段階から、「わたしたちの課題」と考えられる段階への移行を意味してると、解釈しています。

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 「愛」について納得のいく回答は得ていた気はしているのですが、恥ずかしながら「親子なのになかなか親子になれない現状」にある人間ですので、やはり実績のある脚本家が、「愛」についてどのような見解を示すのか、蓮舫さんの国籍なんかよりも気になって気になって仕方がなかったのです。

なぜ、養子なの?

 ということで、なんと当選した試写会。グズリまくる息子を無理やり連れて会場入りするという、「試写会くる前にその息子を何とかしろ」という会場の熱い期待を背に、第一話を拝見させていただいたのですが、どうしても消えない疑問が残りました。それは、「なぜ子どもが産めるのに、養子なの?」という疑問です。

 これまで産まなかった理由はドラマの中で語られるのですが、この「なぜ養子なのか?」への明確な回答がないまま、ドラマは進行していきました。「そんなつまらないことを…」と思われるかもしれませんが、ご指摘の通りわたしはつまらない人間でして、息子の育児を通じていつも思うのは、「自分の子供だからかわいい」「正直、自分の子供しかかわいくない」ということです。何人かのパパ友も、同じこと言っていた記憶もあることから、こう考えている人は、意外と多いのではないでしょうか?

 このドラマは特別養子縁組が重要な設定なのですから、赤の他人同士が親子になろうとすることを決断した納得できる理由がない限り、いくら感動的なシーンがあったとしても、どうしても不自然に感じてしまうのです。また、この赤の他人がどう「他人」を乗り越えて、血はつながっていなくても、本当の親子になっていこうとするのか、その下りにものすごく興味があった、ということもあります。

 にもかかわらず、第一話であっさりと本当の親子になる決意を固めてしまった江口さんと奥さん。なので、2回目以降、「いいシーンだな〜、だがしかし!」となってしまった、というわけです。

 とはいえ、さすが人気脚本家。まとめ方と見せ方がうまい!メッセージ性の高い内容と江口先生の熱演も加わり、毎回、涙腺が緩みました。いい感じの涙腺で最終回を見終えて頭に浮かんだのは、昔読んでいた週刊漫画雑誌でたまに見かけた「遊川先生の次回作にご期待下さい!」のフレーズ。個人的には、「メカ女王vsキング家政婦」のようなタイトルなら、息子のストライクゾーンですし、また親子試写会に申し込ませていただきたいと思います。

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